■ 湊神社(的形) 秋季例大祭~2007年宵宮~
曽根天満宮は間に合いそうも無かったので、的形の湊神社秋祭りへ行ってきました。。。
到着すると、宮出しが始まっていました・・・
すでに何台か帰り始めていましたが、大屋台は見ることができました~
『地』の屋台。。。
『児島』の屋台。。。
『南山河』の屋台。。。
『北山河』の屋台。。。
『福泊』の屋台。。。
動く芸術。。。播州屋根屋台(的形氏子地区)
湊神社の氏子地区は、『地』、『北山河』、『南山河』、『福泊』、『児島』、『仮屋』、『大鳥』の
7地区の屋台7台が存在する。。。
湊神社の屋台の家紋は『菊水』、『三つ巴』、『龍紋』、『菊』がある。。。
屋台の大きさはまちまちで、
この度新調の『地』『福泊』『児島』『北山河』『南山河』と順に大きく、
『仮屋』『大鳥』が小屋台です。。。
『児島』『地』『南山河』の三台練り。。。
■的形湊神社 地図はこちら
由緒:万葉集巻七『まとかたの湊の州、鳥波立てや妻呼びたてて辺に近づくも』と歌われ
当時神社近辺まで海縁があったことがうかがえる、湊の州というくらいですので、
砂浜、干潟が広がっていたのでしょう。。。
御祭神は、素盞嗚尊、大歳大神が祀られている。
平安時代末期、『播磨国神名帳』印南郡の条に『湊明神』と記され、
室町時代末期に湊明神を『大歳大明神』と改称し、明治七年から『湊神社』と呼ばれている
『的形』という地名の由来。。。
神功皇后が三韓征伐の際この地に立ち寄り御座船を神社に寄せ、
現在のお旅所がある沖の小島に立てた的に向かい、
神功皇后が矢を射ち射儀の式を行なったという伝承による
到着すると、宮出しが始まっていました・・・
すでに何台か帰り始めていましたが、大屋台は見ることができました~
『地』の屋台。。。
『児島』の屋台。。。
『南山河』の屋台。。。
『北山河』の屋台。。。
『福泊』の屋台。。。
動く芸術。。。播州屋根屋台(的形氏子地区)
湊神社の氏子地区は、『地』、『北山河』、『南山河』、『福泊』、『児島』、『仮屋』、『大鳥』の
7地区の屋台7台が存在する。。。
湊神社の屋台の家紋は『菊水』、『三つ巴』、『龍紋』、『菊』がある。。。
屋台の大きさはまちまちで、
この度新調の『地』『福泊』『児島』『北山河』『南山河』と順に大きく、
『仮屋』『大鳥』が小屋台です。。。
『児島』『地』『南山河』の三台練り。。。
■的形湊神社 地図はこちら
由緒:万葉集巻七『まとかたの湊の州、鳥波立てや妻呼びたてて辺に近づくも』と歌われ
当時神社近辺まで海縁があったことがうかがえる、湊の州というくらいですので、
砂浜、干潟が広がっていたのでしょう。。。
御祭神は、素盞嗚尊、大歳大神が祀られている。
平安時代末期、『播磨国神名帳』印南郡の条に『湊明神』と記され、
室町時代末期に湊明神を『大歳大明神』と改称し、明治七年から『湊神社』と呼ばれている
『的形』という地名の由来。。。
神功皇后が三韓征伐の際この地に立ち寄り御座船を神社に寄せ、
現在のお旅所がある沖の小島に立てた的に向かい、
神功皇后が矢を射ち射儀の式を行なったという伝承による
>> 湊神社の屋台全集 <<
2007年10月13日 Posted by和知 at 20:51 │Comments(7) │播州の秋祭り
この記事へのコメント
Posted by きのっぴ at 2007年10月14日 00:09
Posted by 城下町の住人 at 2007年10月14日 00:51
Posted by 。。。 at 2007年10月16日 16:55
Posted by 城下町の住人 at 2007年10月16日 17:42
Posted by 城下町の住人 at 2007年10月16日 18:02
わざわざ訂正していただいたんですか ありがとうございます。 指摘ばかり言うんは嫌なんですが「元々小型の屋台が~」って書いとってですけど昔からあまり大きさはそないに変わってません。ただ北と南は棟(屋根というか上のやつ)が当時はまだ神輿に近い感じでぺったんこだっただけです。 これからもちょくちょく見に来させていただきますので更新頑張って下さい。 |
Posted by 。。。 at 2007年10月17日 19:45
Posted by 城下町の住人 at 2007年10月17日 20:15
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