■ 西の丸御殿。。。千姫物語

姫路城西の丸には現在は渡櫓とこれを結ぶ長局(ながつぼね)と化粧櫓が現存する
長局には侍女達の部屋があり、化粧櫓は本多忠政が伊勢桑名から移ってきた時に、
千姫の化粧料10万石で元和四年(1618年)に建てられたものである。。。

かの隅櫓かの隅櫓


慶長8年(1603年)に豊臣秀頼と結婚した千姫は大阪城で幸せに暮らすはずだった、
ところが、慶長20年/元和元年(1615年)、家康は大阪城への侵攻を宣言、大阪夏の陣が起こる。
豊臣勢を押し返した幕府軍が大坂城内に侵入し大阪城天守閣が炎上、
天守閣炎上の前に、秀頼家臣大野治長は千姫をひきわたすことで秀頼の助命を嘆願したが果たせず、
秀頼は母・淀や大野治長とともに自害した。。。

千姫の貝遊び大天守からの西の丸


奇跡的にも千姫は炎上する大阪城から家康の命で助け出され
その後千姫は元和2年(1616年)、本多忠刻と再婚し姫路城西の丸にて暮らしたといわれる。。。

千姫は祖父徳川家康の孫娘であり、
祖母お市の方の聡明さと、美貌を受け継いだたいへん美しい姫君であったらしい。。。

千姫は西の丸内に設けられた中書丸(天樹院丸)と
三の丸脇の武蔵野御殿に住んでいたが現存はしていない
戦前の修理までは、化粧櫓にはその名の通り当時の化粧品の跡が残っていたらしい。

ぬの隅櫓化粧櫓


姫路城西の丸で千姫は夫忠刻とも夫婦仲睦まじく暮らし翌元和4年(1618年)には長女勝姫、
元和5年(1619年)には長男幸千代が生まれるが、
元和7年(1621年)に幸千代が3歳で没したのを始め、
その後は流産を繰り返すなど子宝に恵まれず(これは秀頼の崇りだと言われた)、
寛永3年(1626年)には夫・忠刻、姑・熊姫、実母・崇源院が次々と没するなど不幸が続き、
本多家を娘・勝姫と共に江戸城に出家して天樹院と号した。。。

三国濠からの化粧櫓


その後千姫は寛文6年(1666年)に江戸で享年70歳で死去したとされる。。。

壮絶な戦国の世の狭間を生き抜き、
この姫路城西の丸で暮らした美しい一人の女性の物語が今でも言い伝えられている。。。







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2007年09月15日 Posted by和知 at 22:26 │Comments(0)国宝姫路城

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